おっさんトモの、音楽生活

日々の生活をちょっとだけ豊かにする音楽。おっさんになった僕(トモ)の30歳から始める音楽生活を紹介します。

僕にとっての音楽。

それは、クラシックで、ロックで、ジャズで、ブルースです。
ピアノで、バイオリンで、ギターです。

母が音楽の先生でした。
ピアノを習い始めたのが幼稚園の年長か小学生になるくらいの頃でしょうか。
多分6歳くらいかなぁ。

気づいたら小さなピアノ教室に入って、ピアノ生活が始まりました。

今日は、僕のピアノのお話。
とても長いので、暇で暇で仕方が無い人だけ読んでください。
あと、文を読んでいて、自慢だとか、ひけらかしだと感じる表現もあるかも知れませんが、本当にごめんなさい。そういうつもりは一切ありません。


ピアノは家にありました。
毎日毎日練習をする日々。
なんでピアノをやってるのかを考える間も無くピアノを弾く日々です。
右手10回、左手10回、両手10回を延々と(まぁ、はじめは30分位でしょうが)弾いていたのを覚えています。

それが僕の小学生時代。

正直、ピアノは好きではありませんでした。友達がみんなゲームをしたり、テレビの話をしてる中、なんの話もできませんでした。
我が家ではゲームは禁止で、決して買ってもらえませんでしたし、テレビもバラエティ番組やドラゴンボールはまず見せてもらえませんでした。

その代わりにピアノがありました。
毎日の練習は必須で、練習をサボるとひどく叱られました。
よく止めさせると言われましたが、その度に何故か泣きながら止めたくないとお願いしてたのを覚えています。

我が家は引っ越し一家でした。
幼稚園は2回、小学校は2回、中学は1回変わりました。いわゆる転校生って奴です。
一番練習していたのは、小3で長崎県に住んでいた時。はじめて男の先生で、若いのですがとても威圧感を感じる先生でした。
車で週に二回通い、レッスンと聴音をやりました。
毎日の練習は一時間半以上。
先生には、一日練習を休むと、取り戻すのに3日かかると言われており、ほとんど欠かさず練習していたと思います。

ピアノの技術が伸びたのは確実にあの頃です。その先生には、小学4年の夏(引っ越した為)まで習っていましたが、今でも鮮明に思い出します。

その後、横須賀に移り住んで、習い始めた先生となかなか合わなくて小学校を卒業する前には習うのをやめてしまっていたと思います。


小学校の時、卒業式の合唱の伴奏とかありますよね。
僕がピアノを弾く事はある程度知れていたので、練習の時の伴奏係りだったのです。本番の合唱の伴奏はオーディションで決定するということになっていました。
正直、僕が一番うまいだろうとたかを括って練習をあまりしませんでした。しかし、オーディション当日、頭が真っ白になってしまい、何度も間違え、本番は別の人が弾くことになりました。
あの時は本当に悔しくて、とても泣きました。
練習を怠った自分を本当に責めました。そして、深く反省しました…。



中学でも転校しましたが、転校先の学校は、合唱にかなり力をいれている学校でした。
僕は、ピアノを弾けるという事は伏せていたのですが、何かのタイミングで出てしまったのでしょう。
いつからか練習の伴奏をやるようになっていましたね。

合唱祭みたいなのがありました。
周りを見渡すと、やはりそれほど伴奏が上手いと思う人はいませんでした。僕以外に弾かせるという気持ちは一切ありませんでした。
でも、僕には小学校の時のトラウマがあります。
課題曲が決まると、誰よりも早く楽譜をもらいに行き、すぐに帰ってピアノに向かいました。あの時は一日4〜5時間位、少なくても3時間程度は弾いていたと思います。
二三日である程度弾けるのですが、そこからが勝負。体が覚えるまで、耳で聞いているフレーズが思い描くものと完全に重なるまでずーっと弾き込みました。
もう、絶対に小学校の時の気持ちを味わいたくない。そんな思いで弾き続けました。
思えば、あの時が一番夢中でピアノに向き合っていた時期です。

幸い、その時の僕の環境は良く、家にはグランドピアノ専用の部屋があり、家も隣と多少離れた戸建でした。
しかもヘーベルハウス(笑)ペアガラスのサッシとヘーベル板のおかげで遮音性も良いです(笑)結構遅くまで弾いていても責められることは少なかったです。

そのような環境にも恵まれ、オーディションでは向かうところ敵なしでした。

ところが、この話にはちゃんとオチがあります。

小学校の卒業式のトラウマを振り払うべく卒業式の伴奏のオーディションに参加した僕でしたが、またもや卒業式の伴奏から外されました…
なぜ??手応えもあったのに、これは納得できないぞ。
そう思い、先生に問いました。

答えは…「今までたくさん伴奏をやってきたから、他の人にも弾かせてあげたい」でした。

ただ、その時外された気持ちは、小学校の時のそれとは違ってました。
中途半端に臨んだのではなく、その時自分がやるべきことはきちんとやったつもりだったので、納得してしまいました。結局、他の人でもどうにかなるだろうと思われたのは事実ですしね。ちょっと清々しかったです。

まぁ、それも自分らしいかなと。世の中、そういうこともあると、たくさん学んだ気がします。

それ以来、ピアノはほとんど弾きません。むしろ、今は弾けません。

今の自分のレパートリーは、ベートーベンの悲愴の第二楽章だけです(笑)のだめカンタービレで弾かれてて、あっ!て思いました(笑)

指は思うように動かないんですけどね。