おっさんトモの、音楽生活

日々の生活をちょっとだけ豊かにする音楽。おっさんになった僕(トモ)の30歳から始める音楽生活を紹介します。

音楽を演奏する人にとって最も重要なこととは

どうも。妄想ギタリストおっさんトモです。

 

今日は、音楽を演奏する人にとって最も重要な事という壮大なテーマの話です。

ただ、当たり前のことなので、どちらかというと初心者向けの内容になってしまうかも。。。

 

音楽を演奏する上で重要な要素というのはたくさんあります。

 

たくさん練習していい音を出すこと。

リズム感を鍛えること。

いい楽器を使うこと。

神を降臨させること。

自分に酔うこと。

楽しむこと。

 

いろいろと考えられる中で、僕が、音楽を演奏する上で最も重要だと考えること。

 

それは、音をきちんと聞くことです。

 

一人で演奏しているときは、自分が出している音をきちんと聞くこと。

だれかと一緒に演奏しているときは、自分と自分以外の人が出している音をきちんと聞くこと。

結局、これが一番重要です。

 

では、なぜ、演奏する人が自分の音をきちんと聞く必要があるのか。きちんと聞くとはどういうことか。僕なりの考えを書きます。

 

そもそも、音楽を演奏するということは、誰かに音、音楽を届けるという作業です。

練習は例外として。

 

一人で演奏しているときは自分に、数人で演奏しているときは周囲に、ライブなどをやるときはお客さんに、自分の、自分たちの音楽を耳まで届けるという作業が、音楽を演奏するということです。

 

そんなの当たり前じゃん。

そうですね。

 

ですが、よく、初心者やアマチュアのバンドを見に行って、あ~、この人たちは自分たちが出している音が全然聞こえていないんだろうなぁというバンドがたくさんいます。

音自体がひどい音だったり、バランスが全然うまくなかったり(これはPAの責任がほとんどですが)、何を聴かせたいのか全然わからない。

逆に、演奏がそれほどうまくなくても、とても伝わってくる演奏があります。ああ、この人たちは、自分たちが届けたいものが何かわかっているんだなとか、まだそれほどうまくないけど、こういうことを伝えたいんだろうなという想像を掻き立てられながら聴くことになります。

 

結局、何が違うのかといえば、自分たちが出している音がわかっているかわかっていないかだと思うんです。

 

僕が小さい頃にピアノを習っていたとき、基礎練習ばかりで全然楽しくありませんでした。なぜこんな訓練のようなことをするのか。一日休んだら取り戻すのに三日かかると言われ、毎日1時間半、どこか義務感のようなものを感じてピアノに向き合っていたものです。

そんな状況でも、なぜかやめるという事は考えつかなくて、自分にとってのピアノは生活の一部としてなくてはならないものでした。

それでも、自分の周りにはクラシック音楽に触れる環境が揃っていましたので、いつかはこんな曲が弾いてみたいと思うようになっていたりしました。

 

小学5年の時に、ベートーベンの月光という曲をよく練習していました。月光の第一楽章はとてもゆっくりした曲。ピアノで1オクターブ届けば弾ける曲なので、3~4年くらいから弾いていたと思うのですが、何回も何回も弾き続けるうち、毎回、なんか違うなと。

 

はじめは、ケンプという人のカセットテープを擦り切れるくらい聴いていました。3年くらいの時に、アシュケナージという人のCDを聴くようになりました。

クラシック音楽というのは、演奏家の解釈の仕方や表現によって同じ曲でも全く別物になります。今聞けば少し印象が違うかもしれませんが、ケンプの演奏はどちらかというと単調。多少癖はあったような気がしますが、僕にとっては少し退屈。アシュケナージという人は結構癖が強くて、情熱的な演奏。この2人の演奏は、逆といっていいほど違うんです。

 

自分はとりあえず弾けるようになるのは早かったのですが、そこからが問題でした。

 

自分が弾きたいと思っている音と何か違う。

鍵盤のタッチであったり、レガートのかけ方、音の切り方、ペダルの使い方、全体のフレーズのイメージ、速さ、強さ。気になりだすと、何もかもが気に入らない。こんなものは自分の出したい音じゃない。自分のやりたい演奏じゃない。

 

どうすれば、自分がイメージする音に近づけるのか。

どうすれば、自分が表現したい演奏に近づけるのか。

 

それからは、自分の音を聞くという事を特に意識して練習するようになりました。自分が出しているつもりの音は、自分が出している音とは全く違います。

運よく、うちには演奏をそのままMDに録音できるマイクとラジカセがあって、それで自分の演奏を録音して聴いていました。自分の演奏を録音して後で聞くと、全然ニュアンスが違ったりします。

このギャップを、できるだけなくすように、演奏中も自分がどういう音を出しているかに細心の注意を払いながら演奏します。このころが、自分が音楽的に一番上達していたのではないかな。

 

このギャップがなくなるころ、僕は中学2年になっていて、平日は3~4時間、休みの日はピアノの部屋にこもって一日中ピアノを弾いていることも普通になっていました。

その頃は、もう義務感も消えていて、ただただ自分の演奏ができるように、自分が納得する演奏ができるようになりたかった気持ちが強かったのを覚えています。

 

 

ギターも同じ。

バンドも同じ。

 

今の僕には、もうあの頃ほど集中力も、情熱も残っていません。なのでギターも全然上達しません(笑)

耳もずいぶんなまっているし、自分の出したい音が出せているかというと全然わかりません。

ただ、これから音楽で人に何かを伝えていきたいと考えている人たちに、あえて何かを伝えるとするならば、その音は本当に自分が出そうとしている音なのか、その演奏は本当に自分が伝えようとしている演奏なのか、まずは自分が聞けるようになりなさいという事です。

 

ろくに自分が出している音も演奏もわかっていないのに、音楽性だの、機材の良し悪しだのを語っているなんて本当に滑稽だ。

 

あ、僕の事か(笑)